やりたい事だけやってる人より、やりたくないこともやってる人の方が正しい。


40歳にもなると、周りの友人知人は子供がいる人が大半だ。

そんな中、近いところではまだいないけど、たまに知り合いが、、、とか、仲良くさせてもらってる家族の所の息子さんが、、、と、間接的な話で聞くことがある。

お子さんが自閉症だアスペルガーだとか、発達障害だとか、多動症だとかだ。

他にも僕が知らないそのような脳の病気?障害?的なものはたくさんあるのだろう。

先天的なものが多いようで、悩んでたりする親御さんも多いようだ。
 

しかし、その様々な〜症の中には僕が子供の頃にはあまり聞くことのなかった名前もたくさんある。

その色々な脳の障害?病気の症状をみてみると、あーこういうやつ居たなーと当時の同級生が何人か頭に浮かぶ。

では彼らが病人あつかいや、障害者扱いされていたか?というとそんな事はない。

普通にそういう性格や、そういうタイプの奴という認識だった。

驚くほど勉強ができないやつとか。

きっと今の時代だったら何かしらの病気や障害のある子供だとカテゴライズされてしまうんだろうなと思う。

そして周りもそう言う目でその子の事を見るんだろう。

何よりも本人自身も自分がまともじゃないのかな?と、ショックをうけると思う。

しかし、、
果たしてそれって正しいのだろうか??

実はかく言う僕も子供の頃の過去を思い返すと怪しいもんだ。

もしかしたら脳に問題があったりするのかもしれないのである。



◼︎異常?性格?どっちだろう? 

僕は小学生の時ひたすら通知表に「落ち着きがない」と書かれ続けた。

そして家庭訪問の時もそれを言われた気がする。
流石に小学生の時に自分が客観視は出来て居なかったから僕がどれだけ落ち着きがなかったのかはわからない。

でも、なにか親とそれについて大きな病院的なところに行ったような記憶もある。

もしかしたら僕も今の時代だったら多動症とかいう判別を受けて居たのかもしれない。。。

確かに今でも飽きっぽい。さすがに40歳になり、行動のお落ち着きはでて来たかな?と思うけど、あれこれとやりたがってみたり、新しいことにはすぐに手を出すので、内面的な部分は落ち着きは未だにないとも言える。

もし僕が今の時代に産まれていて、母親が過保護で異常なほど気にする人だったら僕は何らかの病気か障害の診断をされたりしたのかもしれない。

心療内科はすぐに病気の診断するとかしないとか、そんな話もあるし。

自分的には落ち着きがないのはそういう性格、タイプであると、そんなふうに思っている。 

これは人間の個体差みたいなものであろう。
 



◼︎短所を上手く長所として活かす

僕は、働くようになっても同じ繰り返しの毎日はやっぱり飽きてしまった。

自分が美容師だけをずーっとやっていくと考えていたけど、アシスタントも3年、スタイリストも3年。

やはりその位の期間で、美容師それだけやるのは飽きてしまった。

自分に向いているカタチは何かと模索し続けて、マルチにあれこれと同時進行でやって行く事が自分に向いていると気づいた。

落ち着きがないのも、飽きっぽいのも逆にそれが今の仕事に役立っている。
新しい事をする事が40歳の今でも好きだし、美容室でも新しい商材も積極的に取り入れつづけている。

未だに仕事の幅は広がってるし、お店もおかげさまで10年続いている。もちろんそれだけが理由ではないけど。。。 

短所と長所は表裏一体なのだ。

何をやっても続かない。
と言う、自分のマイナス面を逆に上手く良い方向に活かせたと自分ながらに思っている。

あのまま美容室で美容師だけをしていたらダラケきったクズになっていたと思う。


◼︎やりたい事だけやっている人は楽してるだけの人

前置き話が長くなってしまったが、(>_<)

そんなこんなで、自分の会うことをやる事は凄く良い事だと思う。

ある程度成果も出せると思うし。
そこそこ上手くであろう。
しかしずーっと、自分に合う事だけ、やりたい事だけをやるのはどうなのだろう?

最近、やりたい事だけやれば良い。
苦手な事、嫌いな事、やりたくない事はやらなくて良い。

と、言ったような本や、著名人の言葉を良く見る。


僕もハタから見ればそうなのかもしれない。
でもやりたい事だけやった訳ではなく、自分なり模索して自分が「活きる」事をやった。

僕はハッキリ言ってやりたい事なんてない。

人に求められてる事、自分が活きる事をややっている。それだけなのだ。

やりたいことが見つからない、わからないと悩んでる人の話をたまに聞くが、

そんなもんは無くたって良い。

やりたいことがあると、それができない自分にストレス感じるだろうから、

無いなら無いでそれはそれで良い。

と、思えば幸せに生きられる。

話がズレました。



やりたい事だけやれば良い。

と言うのは、実に思慮が浅い。

そう言ったバカな事を言うのは、やめてほしいと心から思う。

大抵こう言う事を言うのは、しばらくしたら消えて居なくなる、たまたまやった事が上手くいった小さな成功を自営業の社長連中だ。

たまたまた運良く上手くいった事なのに、それを自分の能力と思い、それで全能感に支配され、自分が全て正しいと思いだす。

上手くいったことの9割はたまたまタイミングであったり、周りの手助けであったり、、、その人じゃなくても誰がやったって上手くいくことがほとんどだそうだ。

それなのに、そんな正しい成功者の自分がやりたい事だから、やりたい事をやるだけで全てが上手く成功すると思っている。

やりたい事だけをやる事は、その人間の成長の速度はある時から遅くなり、そしていずれ止まってしまうのだ。

こんなものがネットで落ちてたけど。これはこの通りだと思う。

大切なのはやるべきこと。
それが面倒であろうと嫌であろうと、やるべきことをやるのが成果を出す上では大切なのだ。

更には人間としての幅というか、大きさ拡張を妨げてしまうということある。
そしてそのあと減退していくのだ。


◼︎難儀な事、ややこしい事に手をあげて先頭に立って立ち向かおう

自分に合う事をやって、少し余裕が出たのなら、、、

しちめんどくさい事や、ややこしい事、面倒な事、自分が苦手な事もやるべきだと僕は思う。

そこに向かって行く事が、自分の成長にも繋がるし、苦手な事だからこその思い通りに行かないことへの対応がさらなる幅に広がる気がする。

成功パターン、やりやすいパターンを繰り返していたら人間は必ず堕落する。 

人はそう言う生き物だ。

人生なんて良い事ばかりでなく、嫌なことやうまく行かない事の方が多い。

今が良い状態だとしても、必ずそういう時が来る。

そして、その時こそ真価が問われる中、やりたい事だけやってるとそんな時に化けの皮が剥がれてしまう。

来たるべく、難題や向き合いたくない事に向き合う時に、それをちゃんと処理しプラスに変えれるように、嫌なことでも面倒な事でもやるべきのだ。

これは心の、自分の内面の筋トレのようなものだ。嫌なことに向き合い立ち向かう事がメンタルのタフさを強くする。

ただ、それで悩んでしまったり、辛くなり過ぎてしまったり、自殺したくなったりするならやる事は無い。

それが出来ない人もいる。

ただ、出来るならちゃんと自分の出来る範囲で良いから、嫌な事に立ち向かう事は大切である。



◼︎強靭な精神は強靭な肉体に?

僕は元肥満児で運動神経が鈍いので運動はろくすっぽしてこなかった。

なので、運動は大嫌いだ。
そんな中、たまに間を空けながらも、この6年間スポーツジムに行って運動をしている。 

特にこの一年半はしっかり筋トレをしている。
苦手な運動と、不得意な継続してやる事を同時にやる事は、体はもちろんココロも強くなれるので今後も続けていきたいと思っている。


しかしながら、ジムに通う一番の理由は痩せたいのだ。 

しかしこれだけ継続しても、全く痩せない。。。(T . T)

脱デブにはまだまだ努力が足りないようである。

食欲を我慢するという難行を継続できれば、体も痩せてさらにメンタルも強くなり、心身ともに最高の状態なのであろうが、、、それは僕には難しそうである。

はーもう少し痩せたい。🐷

日々涼しく秋らしくなってきた。

おしゃれの秋を前に痩せたいけど、食欲の秋には勝てない煩悩、、というより食欲の塊の僕でした。

junpei murakamiの日記

渋谷で会社やお店とかいくつかやってるおっさんが、知ったようなクチを偉そうに語ってます。アホの戯言と思いご容赦ください〜(^o^)

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