前回ブログで、神様なんぞ居ないといいながら、今更ながら初詣に行って来た。
居ないと思いながらも、もし居た時に困るからという事と、一年の一区切り。年明け気分を味う事、あと日本の文化だからとか。
そんなこんなで初詣には行くのである。
行って来たのはこちら。
柴又帝釈天。
東京産まれの東京育ちだけど、初めて行った。
映画寅さんの地元で、なんだか勝手に浅草の近くにあるのでは?と、思って居たけど、千葉の手前の割と浅草からも離れたところだった。
なんで帝釈天に行ったかっていうと、自分と周りの人の健康祈願をしたかったからなのだ。
それ以外のお願いは1つも無い。
病気、特に大病になるというのは生活習慣もあるだろうけど、それ以外のどうにもならない要素が強いと思うのだ。
なんでその人がなるの!
他にもなりそうなロクデモナイ生活してるやついるでしょ!って感じで健康で真面目な生活してる人でも大病にかかったりする。
そして、自分がなるのはもちろんごめんだけど、周りの人が大病になるのもかなり憂鬱である。
その自分でどうにもならないこと。それだけをどうにかできないかと、大変失礼ながら気休め程度に初詣で祈りに行くのだ。
ただ、僕は信仰心は無くても神社仏閣はすごく好きだ。
神社仏閣は日本の歴史の舞台でもよく出てくるし、昔の建物や仏像、あとは宝物殿みたいなものを見るのもすごく好きである。
柴又帝釈天の御本堂にもこんな感じで、龍とか、
100年以上前の木彫りの作品をたくさん見ることが出来る。
他にも見どころがたくさんあって、
参道の町並みも風情があって、なかなか素敵であった。
そして、初詣には欠かせないのがおみくじだ。
しかし、これもまた僕は占いなんて言うものや、その類は一切信じない。
何故なら、占い師と似たような事を僕は自分が出来ると思っている。
利害関係もなきゃ、知りもしない人の悩みや問題なんぞは聞きたくもないから絶対にやりたくないけど、、、
あれは人の心理を巧みに操る技術だ。
自分の人生は自分がなんとかするものであり。
運命天命みたいなものはあるだろうけど、先のことは絶対にわからないし、未来はどうにでも変えられる。
◾︎運は存在する
ただ、運というのはあると思う。
壮大な前振りwwがあったけど、この運の話を今回は記しておきたいと思った。
運というものの存在はある。
これはプラスとマイナスがあり、常に動いているもので、自分のところに来る時もあれば、止まってる時もあれば、去って言ってしまうものでもある。
これは麻雀をやり倒した時に学んだ。
高校卒業して、DJになろうと考えてたけど難しそう気づいた頃、僕は麻雀にハマった。
ハマりにハマって麻雀で食っていけたらカッコイイくらいのアウトローな気持ちになっていた。
雀荘に1人で行って知らない、曲者のジジィやババァや、どうみてもチンピラ風の人、水商売のおばちゃんとかと打つ麻雀はスリリングで刺激的だった。
そこに完全麻雀で食ってる汚ったないおっさんがいて、その人に僕は憧れた。
そのおっさんはまさにアウトローだった。
そしてそのおっさんはとにかく麻雀が強かった。ただ、金はギャンブル、酒、女に突っ込んでるからいつも金は無い。
そのおっさんと、飲みに行った時におっさんが言っていた。
「麻雀は世の中、社会、いや宇宙のようなものだ。
それは確率などの数学と、人間の感情と感覚、あとは「運の流れ」だ。
麻雀で食ってくなんてクソみたいなものだから、辞めろ。
ただ、麻雀で得たものを人生に活かせば成功は約束されるよ」
こんなような事を言われた記憶がある。
特に運の事を凄く熱弁していた。
そのおっさんからの運についての話しを思い出し、最近良く考える。
◾︎運の仕組みと良い運をよび込む方法
ちなみにこの話はオカルトに捉えられるかもしれない。でも自分の経験則に基づいての裏付けがあっての話である。
運には流れというものがあり。雲の流れのよう流れている。
そして運には仕組みのようなものがある。
1.良い流れの時は調子に乗らない程度にその運に乗るべき。
2.悪い時というのはそいつが過ぎ去るまで、慎重におとなしくするべき。※この悪い時の対処は実に難しい
そして、1番重要なポイントとして、
3.運は変える事が出来なくはない。
と、いう事なのだ。
運というのはちょっとしたきっかけで、呼び込む事が出来るもので、良くなかった流れが運を呼び込む事により良くなったりする。
その呼び込み方というのは、少しだけの変化を加える事なのだ。
しかし、大きな変化はリスクになり、よりドツボにはまるのでやるべきではない。
正解はあえてのリスクにならないような少しだけの小さな変化を起こすのだ。
小さな変化。これがポイントだ。
小さな変化がきっかけで運をつかみ、それが時間とともに大きな変化や大きな幸運につながっていったりする。
あとは明確な理屈と感覚を鋭くして、素早く適切な決断をする事。
迷いが生じると、人間の思考パターンの仕組み上良くない考えの方やマイナス思考に引っ張られやすい。
そう言った状態もまた、運が逃げていく。
麻雀はもう最近はやらないけど、そこから得たものはかなり大きい。
きっと僕に金言をくれたおっさんはもう死んじまってるだろうな。。。。
◾︎おみくじはそこに書いてある文章が大切
良い時、悪い時というのがぐるぐると、繰り返し続けるのが人生だ。
悪い事や嫌な事、クソみたいな事なんてあって当然。
それがあるからこそ、なんて事のない日々と言うのがかけがいのないものだと、感謝出来るわけであるのだ。
そうそう。
実は僕はおみくじが好きだ。
何が好きかというと、恋愛、待ち人、失せ物、金運そんな所は信じていないからどーでも良い。
そこでは無く、おみくじに書いてある文章。
ここが重要で面白い。
それは運がどうのこうのでは無く、単純に自分にとっての良いお言葉が割といつも頂ける。
そして今回は実に心引き締まる内容だった。
凡夫の悲しさとはいえ、世の中をただうろうろと迷いのままに、人の助言を心待ちしてるだけではラチがあかない。
自分から先手をうたなければダメだ。
って事。
「凡夫の悲しさ」
残念ながらなんの才能もない凡人ww
と、言うこと。
どこか調子に乗っていたわたしに、誰も言ってくれなそうな厳しいお言葉。
実に有難い。
人からの言葉を待つのではなく、自分から行動し、声をかけて、日々謙虚に過ごしていこうと思いました。
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